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あむりたのしずく

あむりたのしずく

母からの伝言


本日は弟、津留晃一の「十回忌創生会の集い」にお集まり頂きありがとうございました。

私は3人兄弟で兄と弟がいました。
そして10年前に兄をその半年後に弟をあちらの世界へ送り出しました。

私たちは九州の久留米で生まれ、戦後は北九州市の小倉で生活しました。
兄も弟も中学、高校ではバスケット部に属し、後にはキャプテンになって青春を謳歌していました。

普通の学生でしたが、津留はお天気が自由に変えられたと後に話してくれました。

おたがい、東京の大学に進み、そのまま東京と千葉で結婚生活を送りました。


専業主婦だった私が結婚23年目に家出をし、一人で生活しているとき、弟から自分の会社の経理をやってくれないかと頼まれました。
津留は会社倒産後、友人の名義をかりて社員5名程度の会社をつくり仕事をするかたわら、倒産の苦しみから自分の内側の探究を始め、勉強しているころでした。

コンピューターなど全く知らない私に、コンピューターの本をポンと渡し、経理も勉強するように言われました。
私は必死で勉強し、やっと仕事ができるようになった頃、「私はもう3次元の仕事はやめますから、会社をよろしくお願いします。」と、突然社長にさせられてしまいました。

津留にとって会社を任せられる私の家出は、偶然ではなく、シナリオだったのでしょう。
後にシャーリーンという方のチャネリングで、私は前世で、やはり先生役をしていた津留の追っかけをやっていたそうです。
今回はサポート役をすることになっていたのでしょう。

中小企業の社長さんの意識を変えることが先決だと考えた津留は「経営塾」というタイトルで講演会をスタートさせました。それが1994年9月です。
そして最後の講演会が2000年3月ですから、津留が活動したのは5年と数ヶ月ということになります。

口コミで少しずつ参加者がふえ、女性の方が多くなってきたので、「経営塾」という名前をとり、「新人類の覚醒進化プログラム」というタイトルの講演会を毎月開きました。

そしてその会報として創生会レポートを作り始めました。
創生会レポートで毎月発信した文章が、ホ-ムページに載せているメッセージ集です。
そこに書かれていることが、津留が伝えたかったことの全てです。

私は1回目から最後の講演会までほとんど出ていますし、創生会レポートの編集も一人でやっていました。
津留と一緒にいるだけで、そばで話を聞いているだけで私はどんどん軽くなり、変わっていきました。
そんな事はできっこないと思うことは横へおいて、「そうだ、そうだ」というところから始めました。


私はそれまで魂の存在や精神世界のことなど全く知りませんでした。

この肉体が自分だと思っていたので、結婚5年目くらいから、この結婚は失敗だったと思いながらも、
離婚して一人で働いて子供を育てていく自信がなかったので、いつも感情を閉じこめて生きていました。

自分らしく生きると摩擦が起こり、ひどい目にあうので、自分を殺して生きていました。
「もうこれ以上我慢できない」という時がくると、くるりと反転するようになっているようです。

今まで働いたことがないので、一人では食べていけないと、じっとがまんしていた私が、
家出した2・3日後に近くのレストランの求人広告を見て面接に行き、次の日から働きだしました。

決心してゆだねるとうまくいくようです。
ですから、今、最悪な状態だと悩んでいらっしゃる方も、思う存分、その最悪な体験をしてください。
「ああ、もうやめよう」と思える日が必ずきます。

決心した時からサポートが始まるということをもう少しお話します。

人間には自由選択権が「初めの決め事」としてあるので、まず、「こうしよう」と決めない限り、宇宙の法則で、サポートしてはいけない約束になっているようです。

「講演会を開こう」と決心した時、「聞きたい」という人も同時に生み出します。
「本を作りたい」と決心した時、それを読みたい人も一緒に生み出しています。

「セッションやヒーリングを始めたいけれど、まだまだ自分は完全でないので、もう少し勉強してからにしよう」と思う人は、
「もう少し勉強しなければ、始められない」という事にいつも、いつも意識の焦点が合っているわけですから、
いつまでたっても始めることは出来ないと津留はよく言っていました。
  
私にとってブロックをはずすのが最もむつかしかったのが、主人との関係でした。
どうしても一緒に暮らす気になれないのです。

しかし私が私らしく、やりたいことを体験し、感情を味わっているのと全く同じように、
彼も彼のシナリオをただ体験しているだけなのだ、彼を変えることなど出来ないのだということが腑に落ちたとき、
家へ帰ることができました。3年かかりました。


津留が一番言いたかったことは、「ここは体験の世界、そしてその体験によっ
ておきる感情を感じる世界である」ということです。

なぜ無限の神さまが、波動を重くして、人間になっているのでしょう。
神さまでは体験出来ないありとあらゆる感情を、体験したかったとしか考えられません。

生まれてくるときにシナリオを書いて、今回はこれと、あれを体験し、感じつくすぞと、決めてきたと思い込んでみて下さい。
何かイヤな事が起きた場合、「これは自分が体験したくて決めてきたシナリオなんだ」と思うと、被害者意識が半分くらいになりませんか? 

そして感情に良い感情も悪い感情もありませんから、起きてくる感情をじっくり集中して感じてあげると、その体験が終わるので、
次に同じような体験をしても反応が起きなくなります。

それと同じように、他人も今、必要があってその体験をしている神様ですから、同じ力を持っています。
だから他人を変えようとしてもそれはうまくいきません。


宇宙は循環する輪ゴムのようなものです。
私たちは、ただその上を循環しているだけなのです。
神から別れて人間を体験し、また神へ戻って神を体験し、また人間を体験する。そのプロセスを楽しめばいいだけです。

一番いい場所なんかどこにもないのです。
今あなたがいる場所が、あなたの意識の進化に最もいい場所だからそこにいるのです。
ですから、そこから逃げないでその場所を体験し、体験から起きる感情を感じつくせば、その体験は終わります。


私達は常に何かに意識を合わせています。そしてその意識の焦点がピタリと合っているものを、現実の世界に引き寄せています。
ですから、今、自分が何に意識あわせているのかを、瞬間に気づく練習をしてください。

不安に意識を合わせていませんか? 病気やお金が足りないこと、嫌いな人に意識を合わせなくなると、ストレスが少なくなります。

不安感がやってきたら、すぐに「今・ここ」に意識を合わせてください。
一番わかりやすいのが、呼吸に意識を合わせるという方法です。
呼吸はハイヤーセルフの担当ですから、呼吸に意識を合わせていると、不安感がなくなります。「今・ここ」に全てがあります。


神の側から見ると、一瞬ですべてが見えますので、プロセスを体験することはできません。
私達はプロセスを体験するために「今・ここ」にいます。
私はまだダメだと思っている方も、今はダメな方がいいからダメなんだと、自分を否定することなくダメな私を丸ごと受け入れて下さい。
ダメな私を体験しつくせばその体験は終わり、次のステージへシフトします。
   

どうぞ焦らないで下さい。「今・ここ」を楽しんで下さい。
折角、人間として生まれてきたのですから・・・
そして瞬間、瞬間、心地いい方を選択して、ストレスのない状態でいれば、行き着く先は初めから約束されています。

そして選択にいい選択も悪い選択もありません。
Aの選択をすればAの体験があり、Bの選択をすればBの体験があるだけです。


あなたは誰とでも意見の相違点を持っています。
それが、あなたが肉体を持つということです。

一つの真実に対する違う見え方を表現するのがあなたの役割です。
地球に住む人の数だけの宇宙が存在しています。
そして、あなたはあなたの宇宙の創造主です。
みんな違ってみんないいのです。

津留が良く言っていたのは、「一人一人がジグソーパズルの一片で、色や形は一つとして同じものはないけれどピタリとはまると完璧な絵になる。こうして宇宙はバランスしているのです」と。

この瞬間に、今のあなたがいないと、宇宙は完璧にバランスしないのです。
あなたはユニークな存在なのです。
そして他の全ての人も・・・。
ですから、今そこにいて、そこを体験し尽くしてください。感じつくして下さい。


そして「知識としてはよく分かった」「ずいぶん楽になった」「でも分かってはいるけれど、いまいち幸せ感がない」という方々のために、
津留は「幸せテクニック」を書きました。

まずは真理を頭で理解することが大切です。
そしてテクニックを実践して下さい。
ストレスを感じたらすぐに実践して下さい。

今、この瞬間が幸せなら、その今が点として続いていけば、いつも幸せということになります。常にハートの感覚に意識を向けていて下さい。
ハートが閉じていると感じたら、すぐにテクニックを実行して下さい。やり方は本やビデオでくわしく説明してあります。


これも津留の講演会での話ですが、「ガンですよ」と言われた夜、友人と食事をしながら、「ああ俺は生きているんだ!」と、ものすごい悦びがこみ上げてきたそうです。
「死を目の前に突きつけられ、53年間生きてきて、これほど生きている悦びを感じたことはなかった」と言っていました。

そしてその後、毎朝目覚めるたびに、「今日も生きているぞ!」と、ものすごい悦びを感じたそうです。
「これほどの悦びのなかで、あと半年生きられるなら、それで充分だ」とも言っていました。
自分にとって、ガンになることがいいことだから、ガンになっただけで、ガンがあるからといって、ガン患者になる必要はないとも言っていました。

ガンといわれるまでの1年間、ずっと咳が出ていました。
姉としては病院に行けばいいのにと思っていたのですが、津留には、全く病院に行くという発想がこなかったし、
高熱が出て病院にいき、「ガンですよ」と言われても、治療しようというアイデアがなかったということは、
この病気で肉体をぬぐというシナリオだったのでしょう。

津留はこの生で、人間は卒業だと常に言っていました。


最後に「その間にあるもの」という講演会の中で話している、私の好きな言葉をお送りします。

死とは魂の飛翔の瞬間であり、急激な魂の成長が、もはやこの肉体に留まり続けることが不可能となり、おきてくる現象です。
どんな死に方であれ、例外なしに死とは魂の急激な成長の時です。
我々の本質は生でもなければ、死であるわけでもありません。
「生」と「死」、その間にあるもの、それこそが我々の本質そのものです。
そのどちらでもなく、その間にいて永遠であるもの、それが貴方です。


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